2026年9月15日|沖縄旅行・赤瓦・伝統建築・地域文化

沖縄の赤瓦はなぜ赤い?台風と暮らしが育てた屋根の風景

赤い瓦と白い漆喰、屋根の上のシーサー。沖縄旅行で出会うこの風景は、見た目のためだけに生まれたものではありません。島の土、瓦を焼く技術、強い風への備え、そして戦後の住宅の変化が重なって、今の町並みにつながっています。

沖縄の赤瓦と白い漆喰、屋根のシーサーを表した生成イメージ

赤い色は、原料の配合と焼き方から生まれる

沖縄の赤瓦は、県内で採れる泥岩のクチャや赤土などを原料にし、成形して窯で焼きます。沖縄県の工業技術センターは、首里城の復元瓦でも原料の調査、配合、焼成試験を行い、色味だけでなく吸水率や強度も確かめています。

つまり「赤瓦」という名前でも、土をそのまま屋根に載せているわけではありません。原料の種類や割合、焼成温度や窯の条件によって、明るい橙色から落ち着いた赤褐色まで表情が変わります。新しい瓦と長く風雨にさらされた瓦でも見え方が違うため、町歩きでは色むらも含めて眺めてみましょう。

昔から誰でも赤瓦を使えたわけではない

沖縄県の景観資料によると、赤瓦は明治初期まで首里周辺で焼かれ、身分の高い人に使用が限られていました。一般の人びとへ広がるきっかけは、1889年(明治22年)の使用解禁です。

その後、木造の赤瓦葺き住宅は沖縄らしい住まいの一つになりました。ただし、沖縄の伝統的な民家がすべて赤瓦だったわけではなく、茅葺きの家もありました。「昔の沖縄の家=全部赤瓦」と一色にまとめず、時代や地域、暮らしの条件による違いを見ることが大切です。

時代・要素 住まいの特徴 町歩きで見るポイント
明治初期まで赤瓦の使用は限られていた赤瓦を「大昔から全戸」と決めつけない
1889年以降一般の民家にも赤瓦が普及木造屋根、漆喰、石垣の組み合わせ
戦後補強ブロック造やRC造へ移行平らな屋根と赤瓦屋根が混在する景観
現在RC造に傾斜屋根と赤瓦を合わせる例もある伝統の形と現代構造の組み合わせ

出典:沖縄県「風土に根ざした家づくり」および景観形成資料。住宅の姿は地域、年代、改修状況によって異なります。

白い漆喰だけで台風対策が完結するわけではない

赤瓦の継ぎ目を白い漆喰で固めた屋根は、沖縄の伝統的な景観をつくっています。強い風を受ける地域では瓦を固定することが重要ですが、古い工法を見ただけで「絶対に飛ばない」と考えることはできません。

沖縄県の住宅向け資料は、屋根瓦を台風被害が起きやすい部分として挙げ、漆喰やビス止めなどの対策を示しています。現在の瓦屋根には、建築基準に基づく緊結方法も求められます。伝統的な見た目と、現代の安全基準は分けずに受け継がれています。

屋根だけでなく、石垣と屋敷林も一緒に見る

昔の沖縄の住まいでは、家の周りを石垣やフクギなどの屋敷林で囲み、風を弱める工夫が見られました。赤瓦だけを切り取るより、低い建物、石垣、木々、路地の幅まで含めて眺めると、集落全体で風に向き合ってきたことが分かります。

本部町の備瀬ではフクギ並木が今もよく知られていますが、そこも撮影用の背景ではなく、人の暮らしが続く場所です。道をふさいだり、敷地へ入ったりせず、静かに歩きましょう。

戦後、平らなコンクリート屋根が増えた理由

沖縄県の「風土に根ざした家づくり」は、沖縄戦で住宅が大きな被害を受けたあと、台風やシロアリへの対応、基地建設を通じた技術の蓄積などを背景に、補強コンクリートブロック造や鉄筋コンクリート造が普及したと説明しています。

現在の沖縄で、平らなコンクリート屋根と赤瓦屋根が同じ景色の中にあるのは、どちらかが「本物」で、もう一方が「沖縄らしくない」からではありません。災害、材料、技術、暮らし方の変化を反映した結果です。最近はRC造の上に傾斜屋根を設け、赤瓦を使う建物もあります。

海遊びの前後にできる、赤瓦の見方

沖縄北部では、海の青だけでなく、赤瓦、白い漆喰、緑の屋敷林がひとつの景色をつくっています。移動中に屋根の違いへ気づくと、海遊びと観光地の間の時間も、島の暮らしを知る旅になります。

参考にした公的・専門情報

本部町の屋敷林については「備瀬のフクギ並木はなぜ海辺にある?」、沖縄の台風と海旅の組み方は「沖縄の台風シーズン」でも紹介しています。

ブログ一覧では、沖縄北部の海、自然、地域文化、旅行準備を紹介しています。

海と町並みを、ひとつの沖縄旅に

BlueJoyでは、本部町周辺の当日の海況と参加する方の様子を見ながら、SUPやシュノーケリングをご案内します。備瀬など北部観光と組み合わせたい日程もLINEでお知らせください。

LINEで予約相談